— 5.技術屋としてのスタート —

私が最初に配属された工場は、当時の日本電話電信公社(現在のNTT)等に納める電話交換機を主体に製造を行っておりました。

転属された工場は多品種少量生産の工場で、各種無線機や遠方監視制御装置等の特殊な製品を製造しておりました。

その事業所で私が配属されたのは、サービス課でしたが、この工場から全国に納められた製品を東京のサービス課だけで保守を行うには効率が悪かったのでしょう、全国から集められた十名程度の新入社員を対象にサービスマンとしての教育訓練が行われておりました。

私は2か月遅れで、教育訓練に参加する事になりますが、これが技術屋としてのスタートになります。

私は2か月遅れで全国の仲間と教育訓練を受ける事になりますが、当時は集積回路(IC)が開発されたばかりでした。

ICとは言え、当時のICはゲート回路が主でANDやORなど、私には初めて聞くものばかりで仲間に追いつくために必死でした。

また、当時はICに関する技術本がなかったのか、先輩が手書きしたと思われるテキスト本を渡され、その本を元に教育訓練を受けました。

そのテキスト本には、デジタルICの他に理想的なアナログICとして、当時使われ始めたオペアンプが記述されておりました。

オペアンプは、抵抗器などが持つ抵抗値を数学的に組み合わせる事で様々な機能を手軽に実現できますが、学生の頃、数学を苦手にしていた私にとって、そのICのおかげで少しだけ数学に興味を持つようになりました。

 

その後、このテキスト本は、私にとって大事な教本となり教育訓練後も活用し続け20年近く手元に置いて活用しておりました。

その他に教育訓練では、この工場から全国に納入された無線機、遠方監視制御装置、地震計等、多岐に渡る製品に関する保守技術の訓練を受けました。